暮らしの中で感じたもの、感じること、音楽のことなど色々と記録していきたいと思います。


by osamu
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2010年 09月 18日 ( 1 )

俳人であり、歌人でもある「正岡子規」が亡くなったのは、1902年9月19日。

明日が、子規の命日である。没後、今年で108年になる。
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最近では司馬遼太郎のロングセラー作品、「坂の上の雲」がNHKで放映され、
香川照之が子規の役をとても素晴しく演じている。今年の末にはこの番組の
後編が放映されるので、楽しみにしている。

子規は、俳句・短歌という世界で、今風に言うと、非常にinnovativeな風を吹き
込んだ明治時代を代表する文学者である。

21歳で喀血し、当時不治の病とされた肺結核となり、その結核菌が脊椎を冒し、
脊椎カリエスを発症し、以後床に伏し、36歳で亡くなるまで、作品を残した。

細かいことは、インターネットで調べれば分かるので、ここでは割愛。

ところで、

昨晩、NHKのテレビ番組、「視点・論点」を観ていたら、俳人の長谷川櫂さんが
出演し、子規の作品について説明をしていたので、つらつらと僕が日常感じてい
ること、考えていることを記する。

長谷川さんがその番組の中で、「平気で生きる」という子規の残した言葉に焦点
を当て、説明をしていた。

長谷川さんのお話では、子規は病床に伏した折、余りにも苦しく耐え切れず、自
殺未遂をしたそうである。

子規は、「恐くて死に切れなかった」ということを日記に記しているとのこと。

しかし、その後、子規は、

「悟りとは、死を恐れず平気で死ぬということは間違いで、どんな状態でも平気で
生きることである」、と亡くなる数日前に残したとのことである。

こういう話に接すると、人間はとても救われるような気持ちになる。

この僅か数行の言葉に昨晩僕は、大きく背中を押された。

どんな立派な言葉よりも、人生読本よりも、この言葉に現実感があり、「優しさ」と
「厳しさ」を同時に感じる。

僕は、子規や山頭火の俳句や短歌を目にしながら感じるのは、如実に、偽善的に
人を励ますような言葉と空気感がないからだ。

世の中を変えようとか、革新的なことをしようとか、そんな、人工的且つ意図的な姿
がそこにないからである。自然な姿で彼らの作品が存在するから、とても感動する
のである。

自分の暮らしや生活の中にあるもの、経験していることを、淡々と詠み、時に達観し、
時に喘ぎ、時に内省しながら、彼らは僕等に人生の光と影を投げかけてくれるので
ある。

心に響く言葉とは、理屈ではなく、直感的に示してくれる言葉である。

「悟りとは平気で生きること」。

数日でこの世からいなくなるこの言葉を残した子規の心境は、100年以上経過した
時間など関係なく、その計り知れない彼の心の在り方に、ほとほと感動するという言
葉でしか、表現しようがないのである。

この世を生きていると、色んなことがある。

その苦しさの中で、音楽で救われたり、本で救われたり、他人に救われたりするなど
色々あるが、「救済」と「逃避」は、紙一重なのだと感じる。

暮らすという僕らの日常の中で大切なのは、自分を自分で救済するしかないのである。

どんなに素晴しい音楽を聴いても、作品を読んでも、絵画を観ても、それはあくまでも、

「生活・暮らしの中で、
   背中を押してくれる存在ぐらいが、
                     丁度快適なのだ」。

それ以上のことを望めば、日常の生活・暮らしが乱れ、自分を見失い、自分の傍にある
一番大切な家族や環境を失うことになるかもしれない。

「平気で生きる」ということは、つまらないと思っている日常の生活や暮らしが、実はとて
も大切であることを認識することであり、その中で、冷静に自分の命を育むことであると、
強く思う。
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by backtomysoul | 2010-09-18 14:55 | 文学