暮らしの中で感じたもの、感じること、音楽のことなど色々と記録していきたいと思います。


by osamu
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☆A little bit of Hiroyuki Itsuki☆


僕は高校生の頃、五木寛之の作品はほとんど読んだ。「青春の門」は
勿論だが、彼の書いた短編作品などむさぼり読んだ。

当時講談社から、彼の黒色の装丁の全集が出ており、母親にねだって、
全巻買ってもらい、すべて読んだ。

五木寛之は1932年生まれだから、高校時代に読んだ彼の作品は、40
歳頃の五木寛之の作品である。

それから30年余り、彼の作品を読むことなく過ごしてきたが、なんとなく
本屋で「大河の一滴」なる本を目にしたので、読んではみたものの、それ
ほど感銘を受けなかった。

受けないどころか、40歳代の僕は彼の作品に対して、とても受身に感じ
たし、弱々しく感じ、また、暫く、彼の作品を読むのをやめた。

それから数年して、「気の発見」、「霊の発見」、「神の発見」などタイトル
からして、オカルトチックで面白そうだったので読み始め、そして、彼が段
々と浄土真宗に傾倒していき、法然、親鸞、蓮如などの記述を頻繁に行う
ようになってから、今度は深く読み始めた。

そして今は、いつのまにか、部屋には五木寛之の晩年の本でいっぱいに
なってしまった。

彼のエッセイには何度も何度も同じような話が出てくるが、何度も同じよう
な話を読んだりしていると、段々と彼の考えていることが理解でき、僕はい
つもそれを新鮮に受け止めながら読んでいる。

かつて僕は、彼のエッセイを読みながら、前述したように受身というか、マイ
ナス思考で出発している考え方に違和感を覚えたものだが、ようやく今頃に
なって彼が発想することが段々と分かってきた。

五木寛之の心の底辺には、戦争体験、それも、ピョンヤンで過ごした体験や、
家族との哀しい絆など、そんなものがずっと暗く潜んでいる。

僕にはそんな実体験はないが、それでも彼が、これほどまでも強く宗教観を
持ち、国内国外を問わず宗教的な場所を巡礼したのか、理解できるような気
がする。

それから、年老いていく五木寛之に僕が強く関心を持った大きな理由は、彼
が想像力逞しい現実主義者だからである。

老いて行く人間、非情な人間社会、それから、乾ききった世情など、これらに
彼が目を背けずに、僕らに生きるヒントを与えてくれていることである。

「生老病死」は釈迦が言うところの、生きることは苦であるという言葉であるが、
彼の作品を読みながら、この釈迦の言葉に対する彼のユニークな発想により
、自分の人生の在り方を考えさせてもらっている。

僕が結構好きな彼のphraseは、「車に喩えるなら、政治はハンドル、ビジネ
スはアクセル、宗教的思惟はブレーキである」というものである。

これは彼が、この現代に対する警鐘というか、アンチテーゼ的に述べた言葉
であるが、この意味はとても深い。

宗教は世の中の役に立たないから価値がある、と言い切る彼の言葉はとても
面白い。

それから、彼が言うところの、「宗教で病気が治ったとか、運が向いてきたとか、
金持ちになったとか言うようなそんな宗教は信用しない。今背中に背負っている
荷物が軽くなるということはない。宗教心を持つことで、その荷物を背負ったまま、
もう少し頑張ろうという気持ちになるのが宗教の真髄である」みたいなことをどこ
かで書いていたけれど、僕も本当にそう思う。

目に見えるものだけで生きている僕等に、目に見えないものの存在に対する
畏敬の念というか、彼曰く、something greatに対する感性みたいなもの
を今僕らは必要としていることを、彼は説くのである。

話は逸脱するけれど、この話を、2ヶ月前に園山光博さんに話したら、彼がま
た素晴しい言葉を発した。

「音楽はヘッドライトかもね」

僕が感じていることのほんの一部を少し書いてみたけれど、なんとなく支離滅
裂だ(笑)。

まぁ、とにかく、

五木寛之も今年で79歳。凄いエネルギーである。
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by backtomysoul | 2010-08-23 18:37 | 文学